創設者中村静尾は、幼少期に母子家庭となって学業を断念せざるを得なかった経験から、1947年に財団法人を設立し、経済的理由で修学が困難な若者を支援するための奨学事業を開始しました。当初は働いて貯めた私財を財団に寄附して奨学金を支給していました。その後、より多くの学生を支援することを目的に、東京の銀座に中村積善会ビルを建設し、賃貸収入を奨学金に充てることで奨学事業を飛躍的に発展させました。
その一方で、中村静尾自身は質素倹約を貫き通し、人生を若者の育成に捧げ続けて、92 歳で生涯を全うしました。
公益財団法人中村積善会は創設者の遺志を引き継ぎ、優秀な資質と向上心がありながら経済的事情から夢や希望を捨ててしまうことのないよう、将来性のある若者に奨学金を支給する活動を展開しています。奨学制度を通じて、国内外で活躍できる有為な人材が社会に数多く育っていくことを心から祈念いたします。
理事長 奈良信雄
創設者
創設者中村静尾は、明治28年福岡県(小倉南区)に生まれるが、幼くして母子家庭となったことで女学校を中退しなければなりませんでした。進路を変更し18才で産婆試験に合格、これが家計を助けることとなりました。 大正13年に上京し、昭和2年頃から飲食店を開業、当時人気の映画館、劇場を開業、貿易やデパート業も起こし、旺盛な事業意欲で次々と事業を成功させました。 この間も、少女時代の経済的事情から勉学の道を閉ざされたことの悔しさを忘れることはありませんでした。 昭和10年頃から“勉強を志す者への学費援助”を自己資金で少しずつ始めていました。
「経済的理由により修学困難な学生に学費を援助する」という強い意思で、昭和22年(1947年)に文部大臣の許可を受け財団法人中村積善会を設立しました。人生の目標としている奨学事業を正式に開始しました。
以降は、学費援助を一層拡大したい一心から、全ての事業の全利益を奨学金に投じ、奨学財源増加と安定を図るため東京銀座に商業ビルを82才で建設し、自己所有地をも財団に提供して92才で没しました。
中村静尾は、生涯に亘り言行一致徹底実行を貫き、私生活も徹底した質素勤倹そのものであったようです。
衣食住の全てについて、そこまでするかと言う程の徹底ぶりであったと伝え聞きます。
また、対人関係は、努力する者とそうでない者を区分視し、安易な借財や苦労を避けようとする者に対しては相手にせず、納得のいく事情を認めた時は驚くほどの支援をしたというエピソードも多く有るようです。
晩年、健康が優れない日々が続くなかにあっても社会への還元の意志を貫き、中村積善会の永続を熟慮し、世のため学生のために何をすべきかについて考えることを職員にも求め、自らはその行動をもって日々示されていました。
沿革
- 年月
- 沿革
- 1947年7月
- 財団法人設立・(旧)文部省認可、奨学事業開始
- 1977年11月
- 銀座5丁目中村積善会ビル新築
貸費奨学生 350名規模 - 1986年5月
- 創始者から土地遺贈
- 1988年4月
- 給費奨学金制度開始(大学院のみ)
- 1994年11月
- 貸費奨学生 500名規模に拡大
- 1995年8月
- 阪神淡路大震災見舞金
- 2010年4月
- 給費奨学金を全課程に拡大
- 2011年9月
- 東日本大震災見舞金
- 2013年4月
- 公益財団法人認定(内閣府)
- 2014年4月
- 給費併用型貸費奨学金開始(76名)
- 2015年2月
- ビルの耐震補強と全面リニューアル工事竣工
給費併用型貸費奨学金 拡大(139名) - 2016年4月
- 事務所移転(銀座5丁目中村積善会ビル)、熊本地方地震見舞金
給費併用型貸費奨学金 拡大(248名) - 2020年12月
- 銀座5丁目ビルの建物を売却し、貸地業に変更
- 2021年3月
- 事務所移転(銀座6丁目) 給費奨学金(319名)
給費併用型賃貸奨学金(320名)
(2020年度~2022年度に新型コロナ感染症拡大 奨学生見舞金実施)